血肉 - 井上陽水
【俺の血肉と化したCD自慢】
その10 - 井上陽水
陽水を初めて聴いたのはいつだったかなあ。
これも小さい頃の車の中だったかなあ。AMラジオで『井上陽水のフルタイムコレクション』ていう2時間くらいの特集を
放送したことがあって、それをカセットテープに録っていて
遠出する時なんかに車の中で流していたなあ。
曲と曲の間にブラザーコーンがナレーションしていてとても良い感じなんだ
(そのテープがこれ/手書きの文字は父の字だ)
窓の外ではリンゴ売り
声をからしてリンゴ売り
きっと誰かがふざけて
リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう
月並みながら、やはり「氷の世界」の歌詞は衝撃的だったな。
こんなわけわかんない歌詞歌っていいんだ!という。(誉め言葉で)
もちろんそのあとの続きの歌詞も、口から流れるように出てくる言葉の運びも素晴らしいし。
「東へ西へ」の "床に倒れた老婆が笑う" なんて歌詞も不気味で良いな。
「リバーサイドホテル」も子供なので何を歌っているのか
よくはわからなかったけれど子供心になんか凄いのはわかった。
"都会では自殺する人が増えている" という強烈な出だしの「傘がない」、
夕立の騒がしさを感じさせる「夕立」や、偏屈さがさり気なく出てしまう「御免」、
年をとっていく両親をリアルなタッチで歌った「人生が二度あれば」、
偏屈感満載の「青空、ひとりきり」は、GOUPILになる前の編成の時スタジオでコピーしたなあ。
男女の関係をライオンとペリカンに例えて歌う「とまどうペリカン」、
福岡生まれ特有の、海の向こうの上海への憧憬のようなものを歌った「なぜか上海」、
なぜかレゲエに相撲界への疑問を歌に乗せた「事件」、
宮沢賢治の詩をわからないと切る捨てる「ワカンナイ」、
陽水のアダルトにかっ飛んだ詩世界と歌唱が味わえる「Just Fit」、
娘の父親には愛人が5人いるが父親の会社には守衛もいない「娘がねじれる時」
などなど、挙げればきりがないけれど
パンチの効いた曲には事欠かない。
ポップな名曲たちには「5月の別れ」や「少年時代」、
安全地帯との共作「夏の終りのハーモニー」
など目白押しでございます。
陽水さん、サウンド的にはフォーク陽水期とポップス陽水期に別れると思うけれど
フォーク陽水期なら、「夢の中へ」も忘れちゃいけないな。
ポップス陽水としては「Make-up Shadow」や「飾りじゃないのよ、涙は」(編曲は久石譲)。
「長い坂の絵のフレーム」なんてのも名曲だな。
あ、ただ
陽水さん、この人、アルバムにはわりと捨て曲が入っていることがあったりもする。(笑)これはインタビュー集などでも自分で言及している。
レコーディングギリギリでやっつけ感がある曲もあったりとか。
推測だけど、たぶん美声の自覚の裏返しじゃなかろうか。
自分の声さえ出しときゃなんとかなるだろう、という。
歌や声に自信がない人は曲頑張らなきゃ!ってなるけど。
(それにしても陽水のジャケットはファン目線で見てもなかなかひどいのがあったりするな笑)
"適当さ"。
インタビュー集を読んでいると、
歌詞などにおいても、結構ペテンに近い適当さを自覚的に楽しんでいたりもするようだ。
またあの時代の、浅田哲也など色んな文化人たちとの交流が(麻雀?笑)あったようだから、
そういう巨人たちと間近で接することでその辺でより表現者の深みを体得していったのは容易に想像できる。
「少年時代」のわかったようでわからないような歌詞ももちろん少々の適当さを
含んでいるのだけど、それが音楽として素晴らしく聴こえてくるもんだからニクイ!(笑)
(インタビュー集などの著書。まさに陽水といった感じ)
あと、以前にちょっと思ったけど、
陽水ってなんか立ち位置的に日本のモリッシーって感じも少しするな。
(もしくは年齢的に言うとモリッシーがイギリスの陽水か)
どちらもポップスに衝撃を与え毒を忍ばせた。
偏屈で食えない感じ、そしてちょっと性別の境を行き来してしまうような感じ。(笑)
ルックスもわりと異形感があったり。(失礼)
(こんなちっちゃいシングルもある。西鉄バスのCMソングらしく、そこのHPで通販購入したもの)
数年前、初めてライブ見に行った時も良かったなあ~。
その初期の作風から、フォーク出身と捉えられがちだが、
(実際は、氏は一度「アンドレ・カンドレ」という芸名でデビューしたポップス歌手なのだが)
"(フォーク特有の)メッセージ・ソングなんてなんか野暮だなぁ" という無意識の反骨精神が
彼をその集団から飛び抜けさせ、本来のポップス歌手としての開花をもたらしたのだろう。
核心に触れない上品さ。
おぼろ月のような美しさ。
それでいて頑として芯がある歌手。
それが井上陽水ではないだろうか。
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