長岡花火&水上温泉旅7 ~花火~
私が陣取った無料観覧席はここ
長生橋を渡り切った土手の手前エリア
花火中は橋も通行止めになって
車の行き来も出来なくなる
地元の人なのか旅行者なのか、判別はつかないけれど
見物してる皆さんはこんな感じで
思い思いの楽しみ方で
時刻は19:20を過ぎた頃、
さあさ、始まりました!
打ち上げられた花火は約1万発!
打ち上げは19:20~21:10の約2時間!
長岡の町全体に響き渡る
ドーンという花火の音
腹の底まで染み渡って お腹いっぱいです
河川敷に設置されているであろう大音量のスピーカーから
女性のアナウンスで、"この花火は○○さんスポンサーです"的な紹介で
盛り上げてから打ち上げるというのが基本の流れ
時にはバックに音楽が流れたり
真ん中辺りの山場「復興祈願花火フェニックス」で
平原綾香の「ジュピター」が流れていて
それがとても印象的だったのを覚えている
河川敷の端っこの方で見ている人たちにも気を遣ってか
ひとスポンサー分の打ち上げでひと区切りつくと
川の上流と下流の端でも数発ポンポンと打ち上げてくれる
区切りの合図でもあるのかな?
どれがどの花火かわからんけども(笑)
私のコンパクトデジカメで収めた花火たちをご覧下さい♪
("電柱越し" なのはご愛敬 笑)
ほとんど動画で撮ったので、いつか曲でも付けて
日本カセットテープクラブのMVに仕上げようと思っていたりします
そう言えば、どうでもいいけど
ファミコンで『かんしゃく玉なげカン太郎の東海道五十三次』っていう名作(?)があったな(笑)
2kmに渡って打ち上がる、前述の「フェニックス」花火や
真ん中とラストのクライマックスで上がった
どデカい、これぞ花火!という感じの「正三尺玉」
(はデジカメの画面にも収まりきりません)
コロナで中止になった2年分を取り戻すような
ダイナミックな花火の数々でした
長岡の花火
その起源は、昭和20(1945)年8月1日の「長岡空襲」で亡くなった方々への慰霊と
復興を願って開催された「長岡復興祭」にあるとのこと
"鎮魂"の花火とは言え
爆撃ばりの迫力で寝てた魂もトラウマで起きちゃうんじゃない?(笑)
と言いたくなるぐらいの大迫力
まあ、それは冗談だけど
(というかアメリカめ、、全国津々浦々都市爆撃してんじゃねえ)
でも真面目な話
残された人たちの心の浄化にはとてもよかったと思うんだな、花火は
生き残った人たちがこの先も頑張って生きるよう後押しするというか
心の迷いの踏ん切りをつけさせてくれるというか
「ジュピター」が使われるようになったのも
中越地震での復興を機にということのようだし
そうした、傷ついた人々の復活のパワーになるからこそ
こうしてこの花火は続いてきたんだろうな
(土手沿いの雑居ビルの屋上で観覧する人の影
あそこ眺め凄そうだな~)
1日約1万発、
8/2、8/3の2日間で約2万発
有料観覧者数が2日間で計28万人
+私のようなタダ見の人(どんだけいたんだろう?)
(泊りがけで来るような人はみんな有料観覧席予約者だろうな)
2019年の実績が2日間合計で約108万人だったそうだから
今回は相当例年よりも少なかったことは少なかったのであろう
でもそれでも数十万人の人が来ていたわけで
凄い人の数だった
で、花火が終わると
その数十万人の人々の大移動が始まるわけで(笑)
土手から出てくる人、人、人、、、
(そして見た感じ、5人に1人はマスクが適当な感じだったな笑)
誘導員に従って
きちんと行列になって出ては来るのだけれど
万を超える人がいるとこんなに途切れないか、、ってくらい(笑)
途切れることのない行列を数十分は眺めていたかな?
こうして
夏の夜空を彩った花火も終わり
ひとり旅の私は、町にポツンと残されたわけです
夜の帳が下りる
~つづく
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